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《2003年1月号No.210特集》
特集教科書を活用したディベート授業

教科書を活用したディベート授業・3つのポイント

佐長 健司(佐賀大学文化教育学部)


1 ディベート授業の意義

 二○○二年度から使用されている教科書には、ディベートの記述が多い。中学校、小学校の社会科、国語科の教科書の大半にディベート学習が紹介されている。
 教科書においてディベート学習が紹介され、一般的にディベート授業が行われることの意義は何か。その1つは授業、さらには教科のあり方を問い直すことにある。
 ディベートはルールに基づいた討論である。基本的には、立論と呼ばれる主張と反駁と呼ばれる批判によって構成される。
 このようなディベートによる授業には、顕著な特質がある。学習者自身が主張をつくる。また、他の学習者からの批判によって、その主張を誤りの少ないものに成長させていく学習を実現することである。
 社会科では、教科書には社会の事実が記述されている。東京書籍の小学校第5学年の「わたしたちの生活と食料生産」であれば、農業、水産業、食料問題に関する事実が記述される。豊富な資料も掲載される。
 そのような教科書を活用して、「食料品は、どこで、どのようにつくられているのでしょうか」との問題で学習する。そこで、得られる学習内容は事実である。しかも、それは、もれなく教科書に記述されている。
 一方、同じ教科書でもディベート学習では「これからの食料は、どのように確保していけばいいのでしょうか」との問題が提示される。ここでは、輸入を増やすこと、食糧の自給を高めることのいずれかを選択し、学習者が主張することを求めている。
 つまり、これまでの一般的な学習は、社会の事実について調べて知ることを目標とする。それに対して、ディベート学習では、これからの社会のあり方について判断して主張することを目標とするのである。
 このような2つの学習を前にして、教師は問われる。社会の事実と社会のあり方のどちらの学習を優先する授業を行うのか。両者の関係をどうするのか、と。
 さらに、これらの問いによって、そもそも社会科とは何か、何を学習させるべきか、との問いが生まれる。なぜなら、社会科が何であるかによって、先の問いに答えることができるからである。こうして、社会科授業、社会科という教科そのものを問い直すことになってこよう。

2 ルールをつくる

 ディベートの指導は難しいという誤解がある。そのため、ともすれば実際にディベートを行うことを避けることにもなりかねない。教科書のディベート学習の記述を読むだけで、学習を終えることを危惧する。
 そもそもディベートが難しいのではない。対立する他者との間で主張、批判し合うことが難しいのである。討論において、主張や批判として論理的に内容を組み立てて表現することは、それほど簡単ではない。また、批判に応答することも易しくない。
 一方、ディベートはルールに基づく討論である。ルールによって現実的な討論を単純化し、理解を容易にしているのである。
 たとえば、現実の討論では多様な立場から主張と批判が展開されるので、複雑である。ディベートは、ルールによって肯定と否定という2つの立場しか認めない。そうすることによって、現実の討論に比べて複雑さを減じている。
 ルールについては、教科書の記述においても、役割やフォーマット等が示されている。さらに、スピーチの形式や判定の基準を示している場合もある。
 しかし、教科書の記述においては、ルールをつくるという視点が欠けている。トーナメントではなく、授業ディベートなのである。どこかですでに定められたルールに従うのではない。教師と学習者が、主体的にルールをつくるようにしたい。
 ルールは、授業の目標、学習者の発達段階による。また、ディベート学習の経験の程度によって、適切に決めたい。
 初めてディベート学習に取り組む場合では、教師が説明するというルールをつくることが考えられる。授業では、一方の側からの主張がなされたら、もう一方の側にその内容を説明し、確認させる。さらには、主張に対する批判の内容や方法についての説明もあるだろう。
 ディベート学習を重ねるならば、相手の主張を理解し、適切な批判を行うことができるようになる。それに応じて、教師が説明するというルールを段階的に削除する。
 このようにルールをつくり、変更しながら、無理なくディベート学習の質を高めていける。また、学習者も決して難しいとは感じないであろう。

3 単元を構成する

 教科書のディベート学習の記述は、2つに分けることができる。第1は、ディベート学習を単元の終末にまとめや発展、応用として位置付ける場合である。第2は、単元全体をディベート学習とする場合である。
 前者は、先に紹介した東京書籍の第5学年社会科の「わたしたちの生活と食料生産」の場合がそうである。食料生産の事実についての学習の発展となっている。 一方、後者の単元全体をディベート学習とする場合は、国語科の教科書にみられる。たとえば、光村図書の中学校第3学年の教科書である。
 「メディアとのかかわりを見直そう」では、導入部においてメディアの問題が取り上げられる。メディアは多くの情報を提供する。しかし、それにはメリットもあればデメリットもある。したがって、「どのような姿勢でメディアと付き合っていく」のか、と問題を提起する。
 このような問題を解決するためにディベートのルールを確認し、その準備を行うように記述が展開される。また、ディベートを終えたら、その内容を生かして意見文を書くことが求められている。
 ここでは、ディベートにおける主張や批判をもとに、問題解決として優れた主張を形成するような単元構成が示唆されている。先述のディベート授業の特質に応じたものとなっているのである。
 ディベート授業の特質に応じた単元構成は、社会科の「わたしたちの生活と食料生産」の場合でも可能である。ディベート学習を記述したページから、単元の導入の授業を行えばいいのである。
 食料生産の自給率が低いという問題があることを知らせる。この問題をどうするのかについて、ディベートすることによって考えを深めようと学習目標を設定する。
 もちろん、すぐには根拠の確かな主張はできない。そこで、食料生産の事実について多様に調べる。根拠となる事実が把握できるなら、確かな主張が可能になる。
 確かに思える主張でも、ディベートでは異なる立場からの批判にさらされる。十分に根拠付けられていないことが明らかになる。したがって、再び調べ、考えて主張を修正する。こうして、主張は成長していく。

4 カリキュラムを開発する

 単元としてのディベート授業を行うようになったら、カリキュラムとしてのディベート授業の構想へと発展させたい。教科書の内容構成や記述を参考に、複数の単元や教科の指導計画を構想することである。
 第1に、年間指導計画のなかにディベート授業の単元を位置付け、その前後の授業のあり方を検討することがある。ディベート授業の単元の前に位置付くそれでは、その後のディベート授業を充実させるための指導を行うように計画する。
 たとえば、主張は結論と根拠から構成されること、根拠には具体的な事実と抽象的な論理があることを理解させる指導がある。発問と応答による一般的な授業の中で、学習者の発言を取り上げて指導できよう。
 一方、ディベート授業後においては、その成果に立脚した授業を展開する単元を構想する。ディベートでなく、一般的な話し合い学習とする。そこでは、ディベートで行った主張や批判の方法を生かして発言させることが考えられる。このような授業を行えば、話し合い学習の質が高まることが期待できる。
 第2は、より大きなカリキュラムである。教科や学年を横断して、ディベート授業の発展的な計画を立案することである。
 複数の学年において、国語科の教科書にも社会科の教科書にも、ディベート学習が紹介されている。それらを関係付けて、しだいに質の高いディベートが実現するように計画する。たとえば、主張と批判の方法に関する系統的発展を構想できよう。
 中学校の場合であれば、教科担任であるため複数の教師による検討が必要となる。また、小学校であれば、学年を超えての検討が求められる。
 検討に要する時間とエネルギーは決して小さくないが、実質的なカリキュラム開発を促す。つまり、本格的な教科の指導計画、複数の学年に及ぶ体系的な年間指導計画の立案に導かれるのである。
 ここでは、教科の目標、年間指導の目標を明示しなければならない。しかも、ディベートの視点からも、それらの目標について検討することになる。こうして、カリキュラムのレベルで授業、教科の本質を問い直す作業が始まるのである。